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95年、9月からの私
created by kujila AKA nat n@ logo


なぜ95年かというと、私が渡英した年だから。始めてきたのはその前の年だけれど、その時は3週間だから、数えない。
ともかく、これまでの約5年半(2001年、4月時点)振り返ってみて、いろいろあったなあ、と思うので、ちょっと自分でまとめて、反省してみようかな、と殊勝な事を思い立ったのだ。(おお、日本語覚えてるじゃん、けっこう。笑)
最近毎日なんだかボーっと過ごしていて、最初にいろんな事に感じていた新鮮さや、純粋さ(そんなもんがあったなら、だが)を失ってる気がするし。

来てすぐの3ヶ月はなんか、結構つらかった。はっきり言って地獄だった。(と言うと言い過ぎ)
誰も知り合いはいないし、ホームステイ先のホストとは、仲が悪い訳ではないけれど、何か相手にされてないし(涙)、英語はしゃべれんしで、泣いてばかりいた気がする。
学校は悪くなかったけれど、人見知りする私は(って言っても誰も信じてくれないんだけどさー)、最初の1、2ヶ月はなかなか、仲のいい友達を作る事も出来ず、結構つらかった。
あそこで、私のほかに何人かいた日本人に励まされなかったら、どうなっていたかなあ。
毎日、特にする事も無くて、宿題をちゃんとこなしていた。
今思うと、それが基礎力になったから、良かったんだと思うけれど。
テレビもいっぱい見た。テレビやラジオには出来るだけ触れておいた方がいい。わかんなくても、特にテレビなら、絵があるぶん、退屈しないで見ていられる。耳慣れの練習になる。
最初は接する事の出来るイギリス人なんて限られてるから、ヒアリングには、受け身でも、テレビ、ラジオがいい。

学期の最後の方になって(クリスマスの前だね)、友達とも打ち解け、スペイン人の友達の家にお邪魔するなぞというハイレベルな事までやってのけた(笑)。

その旅行は、いろいろあって大変だったけれど、実りの多い物だった。私にとっては、イギリス以外の初めての海外だったし。
実際、そのスペイン旅行が、私を変えた、と言っても他言ではない(今のような図太い女に?)。
3ヶ月経っても、なんとなく自信のなかった私だったが、案内してくれたスペイン人友達の家族、または友達が、得意でなさそうな英語で一生懸命話し掛けてくれる姿に、えらく感動し、「ああ、私も頑張ろう!」という気になったのだ。

96年新年−

次の学期が始まった時、そこには、自信を通り越して、図々しい私がいた(笑)。
かどうかは別にして、学校にも、町にも慣れていたし、3ヶ月一緒に勉強してきた友達もいた。
(ヨーロッパの子達は3ヶ月で帰ってしまう人が多かったが、それでも、残る人も割といる。アジア人になると、割りと長期で滞在するし。特に、私がいたような田舎町では、遊びがメインで3ヶ月来ようかな、なんて人は、いなくはないが、少ないだろう。なんせ何も無いんだから(笑))
初日の授業で、いきなりその自信を発揮する私を見て、先生の一人、アンドリューは、ちょっとびっくりしていたみたいだ。

イースター前の春学期は、そんな訳で、かなりスムーズに行った。
うまく行っていなかったホストの家も出て、他にフランス人、ベルギー人がステイしていた家で空き部屋が出るというので、そっちへ移った。
彼らはお気楽で、ベルギー人とは特に気があった。
いつも何か計画して、一緒にパブ、クラブへ行ったり、学校帰りにお茶したり、ロンドンまで行ったりした。
その頃が一番楽しかった。学校も楽しかったし、その頃、会話力がうんと上がったように思う。
なんせ、いつも英語でおしゃべり、なのだから。他の外国人となら、間違いも気兼ねないし、ゆっくり喋れる。

同じ場所に長くいるようになると、次第に、行き付けのパブが出来たり、イギリス人にも知り合いが出来るようになる。 本気で英語を、という人は、ぜひ、同じ場所に腰を落ち着けてとっかかって欲しい。

この学期の終わり頃、2つのキャンパスに分かれていた英語のコースを、1つにまとめると学校側が決定し、私たちは、隣町に引越し、と言う事になった。
私は、その頃楽しかったので、移るのがいやだったし、町のホストも、大きな収入源が減るのだから、当然苦情が出た。
それでも、決定は決定。と言う事で、新しいホストファミリーを紹介してもらい、イースターの後の学期は、そっちのキャンパス、と言う事になった。

イースターのお休みには、同居人だった、ベルギー人の子が、お家へ招待してくれて、またまた他人の家にお邪魔する事になった。
彼とは今は連絡が途切れてしまっているが(私が引越しを繰り返しているし、彼も引っ越した)、いろいろ彼と彼にまつわって縁があって、世界って小さいなあ、と思ったりした。(新しく移るはずだったホストファミリーの知り合いが、私の友達と同じ町の出身、さらには同じ年齢の息子がいた、とか、さらにいろいろあった。)

96年春(4月) −

新しく移った家は、かなり快適だった。
大学に移ってから、その家は出たが、いまでも時々お邪魔してるし、連絡も取っている。
家族の一員だ、なんて言ってもらうのは、涙が出てくるほどありがたい。
ともかく、その夫婦は、もう10年もホームステイのホストをしており、見識豊かで、日本人もステイしていた事があるため、日本人の事情にも詳しく、ほんとに至れり尽くせりしてもらった。
私が間違った発音や文法を使うと、出来る限り正してくれるし、私が上達するように、いろいろ助けてくれた。
1つ1つ上げていくと、本当に書ききれないくらいお世話になった。
そこでの生活で、私は、ああイギリスって捨てたもんじゃない、どころか、かなり好感を持って楽しい時を過ごした。
この間、2年半。
私は図々しく、親のすねを齧りつつ、1年の語学コースを終えた後、GNVQという2年間の専門課程のコンピューターコースに進んだ。

96年9月 −

コースは、はっきり言って楽じゃなかった(って当たり前)。
ほとんど何もコンピューターの知識の無いまま、ひょんな事から、このコースに進んだのだから、何から何まで1から学んだ。
授業はもちろん英語。
知ってる人はいない。
最初の1ヶ月で、初日にいた40人近くの半分以上が来なくなった。
高校レベルに当たる、このコースはイギリスでは無料なのだ。要するにタダ。ただし、出戻り(って変だが)だと違うかもしれないけれど、その辺はわからない。
そういう訳で、勝手に止めても全然懐が痛くないので、始めるのも気楽なら、抜けるのも気楽って事だ。
私はそういうわけにも行かないし、まあ、始めたのだから、まともにやろうってんで、頑張りましたよ、一応。
勝手は分からないし、なんだか訳のわからんエッセーやレポートを書かされるが、いろいろ書き方や形式があって、何だかさっぱりわからない。
例えば、イントロから始まって、サマリーを書いて、目次をつけて、レポートの最後には、エバリュエーションというまとめのようなもの(サマリーとほとんど同じ)をくっつける、だの。
そんなの知らない私は、最初の頃のレポートははっきり言って捨て駒同然だった。
しかも、後になって知ったのだが、そういうレポート全部の評価を合わせて、コースの結果が出る、というのだ。
そんなん聞いてないよーーー!!!(涙)
おかげで、2年目は図々しく先生にも評価がなっとく行かないと文句まで言う始末。結局、成績自体はハンディがあったにもかかわらず、まずまずだったので、結果なのだが。

この頃から、だんだんイギリス人の本性に気づきつつある。
どうも彼らはいいかげんなのだ。
学校の運営から、成績の付け方から、授業の時間割なんかまで、いまいち納得行かない。
適当にやってる、って感じ。提出したレポートはなくされるし、組織的にずぼらな管理だし。
それを乗り越えつつ、私はどんどん図太くなっていった。
とはいえ、本来の人見知りは治っていないので、友達を作るのも苦労したが、それは自業自得。実は今でもそれは治っていないと言える。(成長してない)
まあ、最初の半年くらいは、おっつくのが大変で、友達を作ってる余裕はそんなに無かったし(言い訳)。

それでも、ホストファミリーでの生活は楽しかったし、学校もそれなりに楽しかった。
そんなこんなで、友達も出来、何故か相方まで出来た。
カレッジでの友達は、いまでも帰ると一緒にパブに行ったりする、いい仲間になった。

その間、私の英語もかなり上達していったようだ。大体、毎日連日おしゃべりし、授業を受け、文句を言って(笑)いたので、かなりの練習になっただろう。

ある時、ケンブリッジの検定を受けようと、昔の英語コースの先生のところに情報を貰うとともに、申し込みに行った。 昔の私を知る彼らは、すっかり打ち解けている私に驚いたようで、ちょっとしたインタビューをしないか、と頼まれた。
というのは、英語コースにいたころ、多分95年10月か11月頃、クラスで、2人組みを組み、お互いにビデオカメラの前でちょっとしたおしゃべりというかインタビューを撮影した事があったのだ。
私自身は実はそのビデオを見ていないが、実にひどい英語であったろう事は想像に難くない。
そして、2年経ったその頃、先生たちは、上達ぶりを比べて、他の生徒に見せたいから、もう1度撮影して欲しい、というのだ。
ちょっとびっくりしたけれど、オーケーした。何だか不思議な気分だった。
ビデオを撮っていたスエーデン人の生徒や、隣の部屋でたむろっていた生徒達は、私が最初は全然喋れなかったと言っても、なかなか信じてくれなかった。
インタビューの相手をしてくれた、先生のアンドリューが太鼓判を押してくれて(そんなもんに押しても何もならん)、信じてくれた。
ちょっと不思議な気分だった。自分も喋れない時期があって、おんなじところをぐるぐる周って、いったい喋れるようになるのか、と思っていた頃と比べるとずいぶん成長したなあ、って。
そのビデオが、誰か他の人にも、やれば出来る、と言う自信を与えてくれるといいな。

しかし、あの昔のビデオ、怖いけれど、見て見たい。。。

まだまだ続く…。